仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER 感想 ※ネタバレ有り
こんにちは、水です。
今回は『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』を忘れないうちに感想を書いて行こうと思います。
平成最後の仮面ライダー映画として作られた本作。
前作の『仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL』は「FINAL」と銘打つに相応しく、
豪華なキャスト、これでもかと活かされる各作品の設定、余すことなく魅せる各ライダーのアクション。
正直、この「FINAL」を超える「平ジェネ」なんて作れるのかと「FOREVER」の映画の特報を観たときは思った。
そして、実際に映画を観たあと感じたのは、「超えるとかそういう話じゃない。この作品と平成仮面ライダーを作ってくれた事に感謝したい。」と素直に感じた。(限界オタクすぎる)
そもそもだが、今回の「FOREVER」は過去の「平ジェネ」とは作品のアプローチが大きく異なる。
過去の「平ジェネ」は現行ライダーとレジェンドキャストのクロスオーバーを楽しむ、いわゆるお祭り作品だが、「FOREVER」はお祭り作品という括りだけでは語れない。
なにせ、「FOREVER」の主人公は「桐生戦兎」と「常盤ソウゴ」と我々「視聴者」なのだ。
本作で、「アタル」はまさに「視聴者」として戦兎とソウゴと同じ世界に存在している。
アタルは「仮面ライダー」ファンであり、自分や子供達と同様に「仮面ライダー」を楽しんでいるが、心中ではフィクションに過ぎないと一線を敷いている。
そんなアタル(=視聴者)に電王こと野上良太郎(ウラタロス憑依してるけど)が直接「君の記憶の中に存在している限り僕たちは本当に存在している」と告げる。
ベタですけど、電王キャストにこの台詞言わせるのはずるいですよね。
俺もお前らのこと忘れるかよ。ありがとう。
平成ライダーが好きな方には、絶対に一度は観てほしい作品ですね。
気になる所はちらほらありますが、(フータロスがシンゴを救う動機とか、ビルドの歴史は改変済みなのにフータロスの力が切れてもそのままなところとか)そんなのは些細な問題に感じてしまうほどのエモーショナルな作品です。
それに、昨今は映画の設定を本編で回収したりしてくれるので、そこに期待してます。
では、本日はこの辺で
(『遊戯王 Dark Side of Dimensions』で知った単語なのですが、「マルチバース理論」を示すような演出が本作に有ったので、ジオウでも重要な考え方になりそう。どこかでお勉強した方がより理解が深まるのかなぁ。)
本日の水の3つの日記
- 喉の痛みが引かない!
- 職場で似たような症状の社員が一杯!
- パンデミックが怖い!
以上!(なにこれ)